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2006年2月25日 (土)

茨木のり子

彼女を知ったのはまだ3、4年前の話。
新聞の詩のコーナーで紹介された「六月」を読んだ時。
何回も読み返してしまったのを覚えてる。
彼女の美しく整った日本語と感性は、
詩に力を与え、人に影響を与える。
言葉とはこんなにも力を持つものかと驚嘆する。

「自分の感受性くらい」も、多くの人に影響を与えた詩だろう。
例に漏れず、私も大きな衝撃を受けた人の一人である。
よく、叱られたような・・・と表現する人がいるけれど、
怒られると言うよりは、丁寧に諭されて、最後に呼ばれたような。
私は、自分の弱さと不甲斐無さをたたきつけられて、
守って、育てるべき感受性を見つめなおした。
奮い立った気持ちに恥じない生き方をしたいと思った。

そんな情熱も忘れかけていた、ちょうど区切りの時期。
2月20日に茨木のり子さんが亡くなったという。
同じ西東京市で、一人で暮らしていらしたと。
奇しくも、彼女の訃報を知らせたのもまた、新聞だった。
彼女と、その言葉のように、凛とした人になりたい。
この詩の強さとあの気持ちを思い出す。
心よりご冥福お祈りいたします。


ぱさぱさに乾いていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ   
        
    「自分の感受性くらい」 茨木のり子 

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2006年2月22日 (水)

旧銀座アパートメント

高校時代の友人が個展をやるとDMを送ってくれた。
ギャラリーの住所を頼りに銀座を徘徊すること20分、
やっと見つけた雑居ビルの名前は「奥野ビル」。
驚いた。昭和の匂いがぷんぷんする。
さすがに銀座路地裏の貫禄は違うと思っていたら、
中央区の文化財に指定されるほどの遺産建造物だったらしい。
あの洒落っ気と佇まいを以ってすればごもっともである。
かつては高級アパートとして栄えていた銀座アパートメントは、
現在、才能ある新人芸術家の表現の場として再び輝いていた。

画廊も会計事務所も美容室も混在する暗いビルの中、
5階の、2畳ちょっとの小さな部屋で彼女の作品を見た。
灯りが温色で、部屋の雰囲気も作品の表情もとても良かった。
床に立体作品。鉄でできた手が一斉に手招きする。
指が絡まって重なって踊る。でも女性らしくて気持ち悪い感じはしない。
手のひらシリーズ(とは言わないだろうけど)、すごくすてきだった。
水彩やクレヨンを使った平面作品も、それぞれ面白くて、
色使いも好みで良かった。かわいかった。
あとBGMのぴぺぷぱ。絶妙。

んー すてきな個展だった!ありがとう。
本人にも会えたし、行けて良かったなぁ
ジュエリーも鉄板の作品も欲しい……。

そして奥野ビル。銀座1-9-8。穴場です。
といっても、ここはすでにファンが多いみたい。
名物は手動開閉・指針式エレベーター!
でも5階までの人は使えません。

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2006年2月15日 (水)

運転できます

でも車庫入れできません(へたくそ)
これじゃ車で出かけられない・・・・・・

とにかく免許が取れました! 短期で詰め込みまくり。
初めのころは運転終わったあとに身体がふわふわして、
「地に足が着いてない」状態を体感している感じで
情けないけどちょっと楽しかったのに。
いつの間にかその感覚が無くなってて残念。

合宿生や他の短期生との交流も楽しかった。
教習所は同じゴール目指してじたばたする人の集まりだから
不思議な仲間意識と親近感が生まれるのね。
ロビーはいつも賑やかで、学食みたいだった。

ちゃりんこのスピードと明確な操作性(強くこげば早く走る)に
慣れきっていた私には、車の世界は刺激が強すぎる・・・・・・
気もするけど、やっぱり自分で自分を遠くに運べるのは嬉しい。
いつか自分の車が持てたらもっと嬉しい。はたらこう。

その時のためにも運転上達させとこ。
軽やかに運転しよ。いわきで会った旧友のように。
みんなしっかり働いて、幸せで、そして大人になってた。
いろんなとこでひよっこな私はなんだか焦ってしまう。
人生のギアチェンジもスムーズにしていきたいです。ぷ。

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